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理髪一番の設立と発展の歴史

創業者 藤田進 和歌山県出身(1923~1991)

昭和29年9月

新宿店創設 新宿駅南口(新宿御苑寄り)すぐ近くの甲州街道沿いの一角に,椅子7台の店が誕生、理髪一番最初の店舗となりました。

昭和30年

三越前店出店 地下鉄銀座線三越前駅の地下商店街にあったメトロ沖山店の店舗を買収、2店目となりました。

昭和31年

向島店出店 墨田区京島の商店街にあった既成店舗を買収、3店目となり、いよいよチェーン化を目指して店舗展開を続けてゆく方針を固め、創業者が先頭に立ってチェーン展開のための人材教育に力を注ぎました。

昭和33年

中野店出店 中野区新井の早稲田通りに面した場所で初めて空き店舗を借り、自ら設計し椅子8台の店舗を開店しました。

昭和35年

中野第2店 第1店がオープン以来順調に業績を伸ばし忙しくなった為、すぐ近くに第1店とは少し規模の小さな椅子数4台の店を作り中野第2店となりました。

昭和36年

オリンピックの東京開催が決定し、新宿駅周辺の整地、道路拡張などに伴い、創業店舗の新宿店はJR大井駅町前に移転し、以後理髪一番総本店の呼称となり現在に至っております。

昭和39年

東京オリンピック開催、これを機に日本経済も右肩上がりの発展をはじめ、其れに合わせるかのように理髪一番の店舗も次々と開店し、チェーン化の基礎を固めました。 昭和40年代、50年代になると、理髪一番で厳しい修行をした若者たちが、理髪一番という名の暖簾分けをされて独立し、以後、池袋、大森、神田、日本橋、大塚、押上、神保町、新宿通り、西新宿、中野、目黒、根津、北千住、板橋、鳥越、さいたま日進、更には京浜東北線の沿線に沿って蒲田、糀谷、雑色、横浜、山手線沿線では高田馬場、巣鴨、駒込、中央総武線では、市川、新小岩、大島、東中野、高円寺、阿佐ヶ谷、荻窪、西荻窪、吉祥寺、三鷹、私鉄沿線の亀戸水神、下落合、新井薬師、野方、練馬、椎名町、大山、梅屋敷、中延、中目黒、西小山 武蔵小山、雪谷、小伝馬町、武蔵新田等に店舗展開をしてきました 

昭和60年

創立30周年記念事業として全従業員と家族、来賓を招待して伊良子ビューホテルに2泊3日の親睦旅行会を開催、30年間の業績を参加者全員で祝いました。

平成03年

平成3年6月14日、創業者理髪一番会会長 藤田進死去、享年68歳。昭和29年9月、理髪一番を創業以来、強力なリーダーシップで理容業に携わる人材を育成、次々と独立させて理髪一番のチェーン化を図り今日の基礎を作りました。営業上のモットーは、親切、丁寧、迅速、人間教育上のポリシーは誠実、努力、感謝であり、生涯を通じてこの信念を全うしました。

平成05年

藤田茂(初代会長長男)2代目会長に就任初代会長の意志を継ぎ、若さと情熱で更なるチェーン発展に力を注いでおります。

平成06年

創立40周年を期し前回30周年と同じく、全従業員、家族、来賓を招待して、熱海後楽園に1泊2日の記念旅行を催行しました。

平成13年

先代会長藤田進の没後十年にあたり、理髪一番会会員、家族、生前先代会長と親しかった方々をお招きして、目白椿山荘において、創業者藤田進没後10年を偲ぶ会を催しました。ボクシングの大ファンであった先代会長の交友から、角えびボクシングジムオーナー鈴木正雄氏、日本ボクシング協会会長原田雅彦氏、韓国から大栄ボクシングプロモーション代表の金奎喆氏、リングサイドクラブ小原英弥氏など多くの知己友人が出席され生前の故人を偲びました。

平成16年

創立後半世紀、50周年を迎え、大々的にチェーンとしてのキャンペーンを行うのと同時に、目黒雅叙苑において全店全従業員、来賓の方々などを招き、プロの芸人達の余興と食事を楽しむ盛大なパーティーを催しました。又日ごろ理髪一番店をご利用してくださる顧客の皆様に、感謝の印として1等5万円、2等5千円、3等5百円のクオカードなどの抽選によるキャッシュバックと1,000円のファーストカットキャンペーンを行いました 。

平成18年

創業後半世紀を迎えるまで、時代や立地、経済状況などの変化により、様々な消長はありましたが、店舗数は44店舗となって現在に至っております。将来のビジョン今後も一層、お客様に愛される理髪一番チェーンとして日々研鑽を重ね、地域密着型の理容店を目指し、更なる店舗展開をしてゆく所存です。皆様のお越しを、全店の従業員が心からお待ち致しております。

東京理髪一番会 本部